1932年(昭和7年)に根岸農家組合(組合長:中島幸太郎)により共同稚蚕飼育所が建築されました。当地方の養蚕業に長く貢献してきましたが、農業経営の変革に伴い狭山茶栽培に移行、当所も青梅製紙工場に貸与されることになりました。その後、養蚕業は衰退に伴い、1971年(昭和46年)に地主中島正吉氏に所有権が移転されました。一方、1963年(昭和38年)には金子公民館で剣道同好会が活動開始、1971年(昭和46年)には居合道同好会も結成され、武道場建設の気運が高まりました。この時分に中島正吉氏が当施設の利用を申し出られ、多額の費用を提供していただきました。加えて会員一同の労働奉仕や備品の寄贈により、立派な武道場が完成することとなりました。1973年(昭和48年)には合気道部が発足。組合長(中島幸太郎氏)の名前から「幸」を取り「幸武館」と命名され今日に至っています。現在、剣道・居合道・合気道・吟道の四道が活動中であり、武道を通じて心身の鍛練・技術の錬磨に精進する場として使用されています。

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